スカートで行く、インド

北海道情報と毎日のアウトプットブログ

2011年3月10日(木)
夫の前の勤務先から夫に電話あり。「春季(4〜6月末)某県にくることはできないだろうか?」仕事の要請あり。保留。
2011年3月11日(金)日本時間の昼
地震発生。仏でもリアルタイムで報道。勤務先から「人手が足りなくなりそうなので今日中にYESかNOか答えてほしい」との解答催促。日本での状況と意見を夫婦で情報交換後、仕事引き受ける。
*いま*
恐らく仏だけではなくヨーロッパでは地震より原発事故について大きく報道される状況が続く。

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先ほど仙台市内に住む親友と電話ができたのだが、大変考えさせられる彼女の状況を聞き(彼女の個人的な話)ちょっと悲しい結末で終わった電話にわだかまりが残る。その後夫と再度今回の引き受けた仕事の再検討と原発について話合う。

被災したことによってできた親友の悩みや、EU圏ではそもそも地震のある国に原発を作ることは理解できないというニュースが流れている話を(EU自体は仏の原発にほぼ頼っているが、地震がある国(EU加盟)は原子炉を作ることは難しい)(しかしそれは地続きだから役割分担ができるわけであって…)聞きちょっと頭が混乱してきた。誰だって原子力発電所の事故が怖いのは知っている。しかし物心ついた頃この国では、すでに原発ありきで経済・生活はまわっていた。以下ツイッターでの発言と重複するが、日本は原発を止めたら何ができなくなるのかを知らずに、原発中止して、とは言えない。けど、何かを我慢すれば原発は止めてもやっていけるというならそれも知りたい。そして最大の関心は原発の代わりって実はあるの?という点。
今言っても遅い、今そんなこと言ってる場合じゃないのは百も承知。それでもほとんどの人が思うのは「原発なんて建てるんじゃなかった」じゃないかな。私はそうだった。それと同時に恥じた、というか何かの矛盾を感じた。そして思い出した引用があった。

韓国の読者からの質問で「村上さんの『全共闘時代』とは?」に対する村上春樹の答え。

僕らがやったことは、当時の社会体制に対して『ノー』と叫ぶことでした。我々はヴェトナム戦争に代表される、硬直した冷戦体制に対して「ノー」と叫んでいたし、右傾化していく日本の政治システムに対して「ノー」を叫んでいたし(略)マルキシズムは多く引用されていましたが、我々は実際にはマルクス主義革命を目指していたわけではありませんでした。我々の目指していたことは、結局のところ、少しでも大きな声で「ノー」を叫ぶことでした。しかし我々の問題点は何は「イエス」であるかということを、明確にできなかった点にあっやと思います。(p.195)