スカートで行く、インド

北海道情報と毎日のアウトプットブログ

ぽつりと書きます。
普段、日常生活における行動の理由を、
例)「生理痛だから××できない」とか「良い女だったのでついついて行ってしまった、ごめん」(こんな例で男の人ごめんなさい。悪意はないです)
は、言い訳としてうなずけるのだけど、
「生理痛でさ、というか女ってホルモンの変化でできないことあるじゃない?」とか「時には他の女も気になる。いわば自分の種をまきたいという本能」
っていう会話の流れはいや。主語を性別や立場じゃなくて、”自分は”どうなのかで話せば?と。もちろん私自身も時々やっちゃうけどね、こういう、「そのもっともらしき主語って具体的に他に誰?」みたいな。
一応先進国に生まれた現代の人間の同士、本能より理性をもってできることに重きを置きたいよね、って個人的に最近しみじみ思うことを書いてみました…
きっかけは、最近の自分の行動・感情の変化の酷さ。
私より大変なことになっている妊婦(行動や感情の起伏)がいるのも知ってる。だから辻褄合わないことや説明がつかない状況を”妊娠中の女性は”って主語で納得したいこともある、自分だけが特別じゃないことも自覚したい。けど、私より普段どおりに行動して感情の波を他人に見せない妊婦もたくさんいる。
その人たちを目の前にして普段とは違う自分の内面を説明するときに”妊娠中の女性は”って主語使いたくない。
相変わらず長い文章だねー。おまけに暗いねー
冒頭他人に向けた不満のようで、実は自分にがっかりしている最近について文章にしてみました。