スカートで行く、インド

北海道情報と毎日のアウトプットブログ

ある年のクリスマス

到着翌々日から怒涛の親戚付き合い(彼らも泊まりがけ)が連続10日間、年末まで続いた。
いきなりですけど、私のフランス語力はかなり低い。
英検でいうなら5級レベルのフランス語。相手のフランス人もそれを分かっていたと思う、私かなり聞き返したし。でもそんなことお構いなしでガンガン話し掛けてくれる&話し続けてくれるので嬉しいし有り難かった。じゃなくて勉強しなければ夫から喝がとんできそう…
怒涛の日々の途中、義母が招き疲れでイライラしており、それに対して私の夫が「お母さんが悪い。こんな短期間に約束を詰めて」と突き放し、放っておくわけにはいかない私がフォローする羽目になるお約束の展開ではあった。だからホテルに泊まりたいって言っ(略。
そんな中の24日、無宗教の義両親や夫にとってもやはり大切なクリスマス。昼から義兄が彼女と実家に来る予定になっていた。約束の1時間前に少し遅刻すると連絡が入る。その2時間後また遅れると連絡があった後は音信不通に。やさしい義兄だけど遅刻魔(3時間とか)で困り者、けどそれを許しちゃう義両親と私の夫がもっと嫌。
いや遅刻はいいけど待たなくて良い思うのよ。
ということで、私は息子と二人で2回目の連絡がきた時点で自分で買っておいたシリアルをさっさと食べて自室で昼寝した。作ってあった食事を食べるのはさすがにあり得ないし、かと言って人の家で自分の分だけの食事を作るのも、ね。
しばらくすると階下で人がバタバタしており携帯がひっきりなしに鳴っている。詳細は分からなかったが、悪いことが起こったのは分かったので私は夫が上にあがってくるまで部屋で待つ。
後から聞いたところ、義兄が薬で自殺未遂したと。
詳しいことは伏せるとして、彼女と母親(私の義母)との関係が上手くいかなくて悩んでいたとのこと。
一命はとりとめたものの、義母は寝込み、義父は状況を把握できず、夫は発見者である彼女との連絡の取り合いで夜は疲れ果てて夜はトーストとフォアグラ。私と息子はフォアグラを食べられないので、バタートーストを食し、時差ボケもまだ残っていたので夕方18時に就寝。
寝る直前、夫には何と声をかけていいか迷う。
が、彼の性格的になぐさめや感情移入を必要としていないことは知っている。なので大変だったね、というようなことを言ったように記憶している。
兄が大好きな夫、でも兄の言動・生き方に常々疑問をもっていた夫は「彼(兄)の問題だから、僕は何もできない」。
実はこのスタンス、後日義母も同じだった。入院している病院に行くのかと思いきや本人が望むまで行かない、と。
私の育った家庭・家族だったら起こるであろう反応と全く違う。(うちの親だったら病院に駆け込む、間違いなく)
違うからどうというわけでもないし、何が良い悪いかは大した問題じゃない。
けど違う家庭で育った人間(この場合夫と私)が、また家族を形成するって思っていたより大事(おおごと)かもしれない、と結婚6年目(もう少しで)にして実感させられた一件ではあった。