スカートで行く、インド

北海道情報と毎日のアウトプットブログ

性別確定

地球、回るの早すぎだよと思う毎日ですね。
夏が、下心・ときめき・何か良いこと…など甘い期待をする季節であることから無縁になって数年。
今じゃお昼ゴハンの献立どーする、炎天下の公園、今日庭にプール出す出さない?など、作業員と化する季節。
そこに思考・思想は必要とされず、行動のみが評価される毎日の到来。
と言いつつ最近は息子との会話の内容が大人同士とするそれに近いものなってきたため時間を共有するのがより楽しい。この夏は期待したいな〜
もちろん体力と判断力はしっかり3歳男児なので、楽しくはあっても楽ではないのがまたこの先まだまだ長いなと思わせてくれるところ。
寝ても醒めても車と電車という息子の興味が、宇宙と昆虫にも広がりだしたという成長はありがたい。車と電車よりは、宇宙と昆虫のほうが私も調べ甲斐、付き合い甲斐がある…蝉の抜け殻集めや瀕死のミミズ救出を私の手を使ってやらせるのはどうかと思うけど。
車好きの延長で、息子は緊急車両と警察官、警察署と交番を見逃さないため、長距離移動のときに運転者からは重宝される。すごく遠くから「けいしゃちゅだ!(警察だ!)」と指摘し、草むらや建物の陰に隠れている速度違反の取り締まり中の警察官をみつけるので 笑
そしてガソリンスタンドもはるか遠くからみつけるので便利です(ガソリン入れないことのほうが多いから、9割がた騒々しくて疲れますが)

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妊娠中期に入り、性別が確定。
男の子です 笑
産科の先生が「希望の性別とかある?」とワンクッション置いたので、「ないです。男の子ですね? 笑」と私が先に言ってみた 笑
先生は「証拠バッチリで男の子です!」に続き「男の子は大きくなったらお母さんを助けてくれるからね」とフォローくれました。
ちなみに先生も2人の男の子のお父さん。
「なので、小さい頃は何クソ!と思ってがんばって育ててください」と実体験に基づいたアドバイスまでくださった 笑 外食なんか全然行けなかったよ〜と悪魔のささやきも漏らしていたけど…
周りに報告すると「次は大人しい男の子だよきっと」という有り難い予言と「あなたは男の子のお母さんというかんじがするからね」という宿命説を多々いただきました 笑
夫は大喜び。自分大好き人間なので、2人兄弟の自分の境遇が再びというのが嬉しいらしい。「彼氏にフラれたと泣く人が我が家にいなくて嬉しい」とか「一家に女は君(私)一人で十分。娘生まれたら君は影響を受けて大喧嘩したり、落ち込んだりして大変になるタイプだと思うよ」など好き勝手なことばかり言ってくれます。
ところで本当のところ、体力面で幼児期において性差はあるのかな?
息子を通じて母子共に友達になった中で女児もたくさんいるのですが、馬力は確かに男児のほうがあるのだけど、持続性という意味では女児も互角にあるように見えるので、「男の子は腕白なので親の身体的ダメージが大きい」というのは先入観にすぎないのかな?それは根拠ない昔のはなしなのかな?と疑問に思いまして。
もしくは1日一緒に過ごして比較すると「女の子はやっぱ落ち着きがあってオアシスー!」てかんじなのかな。
次の子はどんな性格かな。楽しみだ。
くだらないと思う人もいるかもしれないけど、花柄、レース、リボン、フリル、三つ編みに無縁なのかと思うと、そして女同士の家族がいないと思うと正直少し寂しいです。
ちなみに息子はずっと「赤ちゃんは女の子だよ」と言っていた。
なので性別が分かった日から、女の子じゃなくて男の子だよと訂正してあげると「なんで?女の子だよ」と言うので、おちんちん付いてるから男の子なんだよと説明すると、「えー赤ちゃんは女の子だよ」と逆に説明してくるので聞くと…息子の中で赤ちゃんという存在=女の子という図式が成り立っていた。
じゃあ君は何なんだ 笑
普段は朝晩や午睡の時に横たわる私のお腹に自分の顔を乗せて、赤ちゃんに好きな物をインタビューをしたりしてコミュニケーションを図っている。
時々、赤ちゃん貰いまーすと私のお腹から取り出す仕草をして自分のベッドに寝かせて世話をするという若干シュールな遊びもある。遊び終わったら丁寧に私のお腹に戻してくれる時もあるけど投げて寄越してきたり、「赤ちゃん、機械(加湿器)の上においておいたから」と物騒なことを言い残して他の遊びに移行したりする。
それでも話しかける時の息子の声が小さくやさしい声になるなど声色を変えるという成長が見れて頼もしくいじらしいです。
レゴでバズーカみたいなものを作って「お母さんと赤ちゃん、ババババババババー!」と攻撃してくることもあるんですけどね。
まったくテレビ等見せてないのにこの有様だから、一体どこで覚えてくるのやら。
あ、テレビを見せない教育方針とかではなく私も夫もテレビを見ない家で育ったその流れの今であって深い意味はありません。惰性でテレビを点けっぱなしの家庭があるように、我が家は惰性でテレビのスイッチがつけられていないという。個人的にはどちらもダメかと…極端はよくないよね。