スカートで行く、インド

北海道情報と毎日のアウトプットブログ

子供に手をあげるということ

今年も1ヶ月がすでに終わりますね。時間が経つのが早すぎてだんだん楽しくなってきた、意味わかんなくて。
次男はもう少しで3ヶ月。
半年前からいたような、という気もするし、2ヶ月の赤ちゃんってこんなにしっかりしてるものだっけ?とおしゃべりや笑ったりするのを見て驚いてます。
私の記憶では生後半年くらいまで人間らしくないコワイ存在だった気がして…3人産んで育てたらどんな風におもえるのかなー。あ、本当は3人目が欲しいのです。でも3度目のつわりに耐える自信がないのと経済的にも育てられるか不透明なので諦めました。
突然ですが昨年の新年のご馳走。
当時2歳の息子にもリモージュのお皿でご馳走を振舞ってくれる義母。見習わなければ。


超絶美味しいラクレット。チーズ(大きめの切り餅サイズ)を蒸したじゃがいもやブロッコリーににんじん、生ハム、バゲットと共にミニフライパンみたいなのに入れて、ラクレット専用ホットプレート(一枚目の写真、上中央の黒いプレートがそれ)で温め溶かして食べます。
フランスに行けない冬は毎年年末にこちら日本にラクレットのチーズと生ハム各種を送ってくれます。
なんで急に昔の写真を載せたかというと、夫の家族の事情で3月末にフランスに行くことになりなんとなく写真を見返したから。
乳児連れでテロ騒ぎがあって間もないパリに行くことと天秤にかけたけど、家族が困っている時は顔を見たいという夫の気持ちは無下にできず。

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相変わらず乳児の次男よりもうすぐ4歳になる長男に手こずっている。
よく下の子が生まれても上の子を優先しろというじゃないですか。
そんなの当たり前だろw
と思っていたわけですよ。
が、実際その立場におかれるとそれがいかに難しいか…当たり前だろ考えればわかるだろとかどの口で言ってたんだかって。
下の子は生死が関わる次元で自分(母親)を求めてくる、そんな中で上の子を優先させるってもう頭脳プレーの域。理性とか分別とかしっかりもってなきゃこなせません…逆に言うとそれらが欠けているがために四苦八苦している私が自分で自覚している以上にいかに未熟でだらしないかと思い知らされる毎日。
「育児は育自」
って言葉、嫌いだったけどここにきて左様で御座いますって言うしかない。自分よがんばって育ってくれ 泣
あと何度長男に手をあげないかに心を砕いたか…
私は親に手をあげられたことはないですが、一般的なはなしをするなら体罰は場合によってはアリだと思う。
で、親になった私は子に手をあげても良いかといえば、ダメだなあ。
私は長男の事を愛している。
が、手をあげてしまいそう!というときは3歳の息子を目の前にそこに愛はない。怒りと苛立ちしかない。こういうタイプの人間は体罰は絶対だめだろうな、親も子も幸せにならない。
というのも大学時代からの仲で2歳児を育てている友人に体罰による躾の話をしたところ、彼女は何度か父親に手をあげられたことがあったがそれは本当に悪いことをした時でそんなことがあっても親の愛を感じられた、と話してくれた。なるほど。成人した子に子供時代を振り返られて、自分が手をあげたことが記憶に残っていられても恥じない自信があるというのは一種の目安ですね。開き直りともちがいますよ、そして体罰が日常茶飯事というのは論外で。
というわけで最近の生活ハックは、「いかに息子を怒らなくて済む住居環境にするか」が重視されている。これはこれで問題な気もするけど(叱られるようなことをしないという躾をとばそうとしてるからね…)長男のことを優先できていない罪滅ぼしとも言えるし、実際そう優遇される権利は彼にあると思います…家庭は小さな国家って本当ですわ。