スカートで行く、インド

北海道情報と毎日のアウトプットブログ

昨日書いた、症状安定による妊娠・出産okが医者から出て選択肢がひとつ広がったけどという日記は消してしまった…今までの大学受験や就職内定、そして結婚とも違う種類の荷で、今は完全に自分のキャパシティを超えた課題。それまで自分は漠然と”結婚して可能なら子どもを産んで”と考えていたとこに去年”子ども産んで”の選択肢が消える確率がドンと上がりそれはそれで納得していた。そしてそこでまた選択肢が戻ってきたとこで、事が事なだけあってうまく思考回路が繋がらない。素直に喜べないし、喜ぶなと本能的に警戒している。
加えて今日、夫が春以降に学生(とは言っても在学中に微々たるものながら給与が出て1年以内にインターンを経て配属)の選考に入ったことが決定して何やらここ数年一筋縄にいかなさそう。
出産・就職、どれもフライングして考えると実を結ばなかった場合その分ショックも大きいから「まずは決まってから、落ち着いてから♪」といくべきとこだけど、距離的にも状況的にそうはいかないので前もって調べたり準備しなければいけない…たとえ使わずに済む知識になる結果にあったとしても備えあれば憂いなしで、今までそうすることが国籍が違う者同士の人間関係を比較的円滑にしてきたように思える。
去年は、自分の病気だから自分が苦しんだつもりが、家族・知人・友人にも迷惑かけたり心配かけことを身をもって感じたことをきっかけに「自分の身に起きたから自分が解決しようと考えるのは間違えではないけど、自分が思ってもいないところで人には十分迷惑・世話をかけているのだから、自分のことは自分でというのは却って鼻につく態度だよなあ」と思った。意味不明ですみません。今回のこともさ…たぶんできたらできたで産んだら産んだで他人にまた100%迷惑かけるんだろうけど、今の段階ですでに、産んだ自分が子の世話を十分にできないかもしれないという懸念(出産後に症状が悪化する可能性が高い)がすっごい自分をネガティブにさせる。こういう言い方をすると、たいそう私が人には迷惑かけてこなかった人生を送ってきたかのような文章ですがそんなわけではない。しかし結果的に迷惑かかったっていうのと、前もって迷惑かかるかもしれないと思いつつ取りかかるんじゃ意味違うよね…何にしろまだ弱音吐く段階じゃないけどしっかりしなきゃね。